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叢太郎

BONUS確定

培明 丛

Interests
April 26

回家

刚回来,老不适应了,看什么都看不惯,办什么事情也是不快,可了,我都无奈了,,,每天忙得脑袋大了,没办法就这么现实,挣钱就是这么难,呵呵,无奈亚,,,奶奶的,我的找个好方法发泄发泄,要不行找个人暴打一顿的了,呵呵,也许能好一点,晕了,,
January 19

らーめん感想

最近毎日仕事が終わったら、ラーメンを食べに行きますけど、毎回違う味を注文するたびにちょっと考えたんだ!これから帰ってラーメン屋さんやったらどうないと、、でも、実際難しいんだよね!!??自家製麺はともかく、なんとかなりますけど、肝心なのはスープなんだ!いろんな材料を入れないとうまい味が出ないんだよ!この前豚足を入れたらうまいんだって友達から聞いたんですけど、本当かな???微妙だよねこれからもどんどん食べて味わってきますよ!よろしく

 

January 16

感想よ

最近頭が痛いよ!!!!卒論がなかなか進まなくて、、けど、なんとかなるさあーーー

米国におけるアウトソーシングの分析

 

2-1 黎明期

米国における初期のアウトソーシングビジネスは情報通信分野が始まりとされる。企業の情報処理には専門の設備や人材が必要とされる為、企業が自ら行おうとする投資コストがかさむ。また、一企業がシステムを構築した場合、稼働率に波があるとコストパフォーマンスが悪くなる。そこで多くの企業から情報処理業務を受注することでシステムの稼働率を高く維持し、高品質で安価なサービスを提供する専門企業が生まれた。

米国におけるアウトソーシング事業の先駆的な事例としてEDS(エレクトロニック・データ・システムズ)の情報処理サービスが挙げられる。EDSはロス・ペロー氏がIBMを退社して1962年に設立した会社である。当時は情報処理分野の重要性が増大していたが、企業にとって情報システムの構築・運用を自社で行うことは莫大な資金を必要とする。また、新たな機種が次々と登場すると自社での対応は難しい。さらに情報システムを構築・運営することができる人材を自社で獲得、育成するのも非常に困難であった。EDSはそこに注目し、受託計算やそれに伴うソフトウエアの開発を引き受ける仕事を開始した。翌63年にはスナック菓子類メーカーと5年契約を受注し、その後更に事業を拡大していった。この当時のアウトソーシングは情報処理部門が中心であり、比較的小規模な企業が自社で行う事が困難な専門業務を外注するというイメージが強かった。

その後の米国における情報通信分野のアウトソーシングは前述した外注を中心にしたものばかりであった。そのような中で1989年に行われたイーストマン・コダックIBMのアウトソーシング契約である。イーストマン・コダックはニューヨーク州のロチェスターに本社を置く写真用品の最大メーカーだが、同時に合成繊維、プラスティック、医薬品の大手としても知られる世界的企業である。1989年当時のコダックは、業績の低迷からリストラクチャリング(事業の再構築)が急務であった。特に生産部門を近代化するためには情報システムの大規模な変更が必要であった。それにともないコダックIBMを中心とする3社に情報システム業務をアウトソーシングしたのである。目的は、①経営資源を本業に集中するため、②情報システムの進化、発展など環境変化への対応は外部のプロフェショナルに任せてしまうこと③その結果として、経営の効率化によって株主への利益還元を高めることにあった。

 このイーストマン・コダックとIBMとのアウトソーシング契約が今までの情報通信分野におけるアウトソーシングと違い、また画期的であった点として上げられるのはその手法にある。コダックのコンピューターセンターは、その後IBMに売却され、五ヵ所に散在していた機能は一ヵ所にまとめられた。新設のセンターにはコダックの情報システム部門に配属されていた360人がIBMに移籍して勤務した。ただし、コダックは情報システム部門の全体を丸ごとIBMに投げているわけではなかった。確かに360人の人員はIBMに移籍したが、残り800人はイーストマン・コダックに残された。IBMの業務はホスト・コンピューターシステムの開発と運用、通信ネットワークの維持管理などが中心であり、コダックの情報戦略的な部分はコダックの社員が担当した。このように、イーストマン・コダックは自社の情報システム業務を完全に丸投げしたわけではなく、その業務の一部を自社に残すことで、アウトソーシングをした後でもユーザー側、ベンダー側双方が関係を持つ必要性が生まれた。この点で、外注のような当時一般的だったアウトソーシングとはイーストマン・コダックとIBMのアウトソーシング契約は画期的であった。

 

2-2 成長期

アウトソーシングはイーストマン・コダックの例以降、様々な概念や形態が現れた。それまでの黎明期のアウトソーシングは肥大化した組織のダウンサイジング、リエンジニアリングといった自らの経営資源をコア・コンピタンスに集中させるためのものに過ぎず、アウトソーシングを供給するアウトソーサーと委託する側の関係も単なる契約とその履行の関係に過ぎないものであった。数あるアウトソーサーが市場競争を勝ち抜くために、アウトソースそのものに『付加価値』を提供する流れが起こる。例えば、1994年にゼロックス社がEDS社へ情報システムの運営・管理をアウトソーシングすることにより第一級のITソリューションを提供するという付加価値の創造を行っている。この『付加価値』を追及する流れは市場競争の中で先鋭化され、より高度専門性を追求したアウトソーサーが現れるに到る。

また、ビジネス全体のプロセスを再構築する(BPR(Business Process Re-engineering))中で、ビジネスパートナーとしてIT・経理・人事・ロジスティックスといったオペレーションレベルのみならず戦略レベルを含めたビジネス全体を一括して受注するために、従来のITを中心にした大規模アウトソーサーがコンサルティング領域の能力も獲得するようになった。つまり、アウトソーサーが委託側の経営や運営などのビジネス全体に影響を及ぼすほどの『戦略的』付加価値を生み出せるようになったことを意味している。

この時期のアウトソーシングの歌い文句として代表的なものに『戦略的』『経営戦略』『付加価値』といった言葉がある。この言葉が歌われた背景には、アウトソーシングが単なるオペレーションレベルでの業務の部分最適のみならず全体最適をも視野に入れた『戦略的』アウトソーシングが生まれ、従来のアウトソーシングと区別され始めたことを示している。

 

2-3 転換期

黎明期、成長期のアウトソーシングは自社のコア・コンピタンス以外の既存部門を如何に全体を通して部分最適化させるかに注力していた。アウトソーシングそのものがコスト削減の方向性であることに違いはなく、アウトソーシング自体が利益を生み出すことはなかった。

 企業のイノベーションが期待される中、技術、サービスが高度化しすぎてしまいイノベーションを生み出すことは困難となった。そこで、有力なアウトソースと自社の有力内部資源をコラボレートすることによりシナジー効果を発揮させ、いち早くイノベーションを産み出そうとする動きが出始めた。これよりアウトソーシングが企業の独自性そのものであるコア・コンピタンスを作成するためのツールとなったことをうかがい知ることができる。こうした動きは2000年前後に急速に増加した。

 このようなアウトソーシングを提供するアウトソーサは、専門性が高いために委託組織の一部であるような従属形態をとらない。その多くがジョイントベンチャーなどの形態をとり、新規産業の創出に近いものである。

 

 

第一次アウトソーシング

主な目的:コストダウン、効率化、標準化型

 

第二次アウトソーシング

主な目的:専門性、付加価値創造型(基本は既存の業務への付加価値向上)

 
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